19【identity】
相次ぐ、ライブハウスの閉店という知らせを目の当たりにすると
このまま、ライブというカルチャーそのものが徐々にフェードアウトして
もう自分みたいなハンパもんはライブなんて出来なくなるのかな、なんて
極端だけども思ったりもする。
周りの仲間は、ライブが出来なかったら出来ないで他にも音楽の見せ方(聴かせ方)はある、と言うけども
俺はやっぱり頭がカタくて
そこまでフレキシブルに考えられないっていうか
ライブに拘りたい、という思いを捨てきれない。
それは、歳をとったせいなのか
“衝動”に対する感受性が随分と鈍くなってしまった様で
今は10代の頃の様に、新しいアルバムを聴いて魂が揺さぶられるほど感動する、という経験がすっかりなくなってしまって。
唯一、音楽に触れるなかで今でも胸の中をワーッと熱くさせてくれたり、心地よい余韻に包みこんだりしてくれるのは、好きなアーティストのライブを下から観てるとき、なんですよね。
だから、ライブなんです。
それをやりたいんです。
じゃ、何故ライブに熱くなれるのか
そこにはやっぱり、幼少期から「なんとなく」ピアノを習わされて、日常的に“宿題の一環”みたいな感覚で音楽というものに触れていた俺の価値観が180°ひっくり返されたキッカケが
1991年にXをTVで観た、あまりにも衝撃的な出逢いに他ならなくて
「音楽はカッコイイものなのだ!」という強烈な意識革命があったからであって、
そこからその初期衝動だけをただひたすらに肯定し続けてきたから、なんだろうなと。
つまるところ
その初期衝動から29年ものあいだ、言ってみれば純粋に無形の 音楽 に感動してきた訳じゃないんだ、というのを最近になって思い知るわけ。
僕にとって「音楽」とは
五感を刺激する様々なファクターが絶妙なバランスで集約されてはじめて成立するっつー
だいぶ歪んだ価値観のもとで成り立ってるという事です。
なので
言い方がアレですけど、ライブが一番バランスが良いんですよね、多分。
ゴージャスなステージセットで、煌びやかな照明を浴びながら、派手な衣装に身を包んで音楽の世界観を「バンド」全体で表現する。
これにシビれて
憧れて憧れて憧れて
この世界に飛び込んだんだけども、
それをリアルに実現出来るのはライブかテレビパフォーマンスしかなくて
それを唯一身近でコンパクトに表現出来るのがライブハウス、そういう位置付けだった。
だから
ライブじゃなきゃ、意味がないんです。
それが「初期衝動」を肯定し続けられる己のモチベーションだから。
という、思いだけはブレずに
この先も持ち続けていよう、ということです。
何かに絶望して「音楽」から目を背けない限りは。
爪の色から、機材の配置、マイクスタンドの角度ひとつとっても
すべて自己表現のカタチ。
それを、お見せする。
たとえ世界中の人から見放されたとしても
「ステージ」という表現の尊さを信じていたいと思います。
なかなか伝わらないんだよな。
何かを成し遂げたこともないし。
難しいね。
今できることって、何だろう。
ユウイチ∞N.p.sN.g.s