50【感傷の咀嚼】
小雨がパラついたり、やんだり。
急に肌寒くなりました。
連休中は穏やかな晴天に包まれていたぶん、余計に気分が沈みがちな週明けの火曜日です。
連休は、猫ちゃんにとっても連休の様で。
南の窓から全然離れないもの。
普段、留守番中もこんな感じなのかしら。
マイペースっぷりが羨ましい(笑)
相変わらず、金曜日の鬼滅の刃がグッサリ刺さったままメンタル不安定な日々を過ごしています。
自分もいつのまにか大人になり、気がつけば間もなく二度目の成人式を迎える(成人式行ってないけどな)というポイントまでのらりくらりと生きて来た訳ですけれども
やはり歳を重ねれば重ねるほど胸に「矢」が刺さりづらくなくなってきてる事を肌で感じていて
なかなか何かに「感動」することが出来なくなっている反面、
何かの事象が感情のフックにグッと引っかかった時の痛みが、若い時のソレとは全く比にならないほど甚大になっている事を痛感する自分が居たりします。
週末、甲本ヒロトさんが珍しくTVに出て語られてた言葉がピシャっとハマるんだけども、
「視線は何処を観てたっていいんだけども、結局は何処にピントが合うか」という。
子供の時、若い時ってのは別に何かを探してるつもりはないんだけどたまたま何かのタイミングでピシッとアジャストするものに遭遇して、あとは感情の赴くままにダイレクトに動いてた気がするんですよね。
今は、心の老眼(?)でなかなかピントが合いづらいぶん
自分の胸にクリーンヒットする矢が飛んで来たらソレに対する向き合い方、というか
そのひとつひとつを純粋に受け入れて、己のなかでじっくり愛でて温める感覚?
なので若い時に比べて、感動の純度がやたらと高いし長引く、というかズルズルと尾を引く。
何より、「人間」に感動のスポットを当てられる様になったぶん、感情の入り方が昔とはまったく違う。
グローバルスポーツに感動するとか、天皇陛下の凛々しいお姿に感激するとか
10代の頃には絶対になかった感覚だし。
どっちがどうとか、良いとか悪いとかそういう事ではないんだろうけども
いちいち感動を「咀嚼する」自分、嫌いじゃない。
感動出来るものがあるだけで、生きてる実感が持てるってモンです。
己のインプットが機能しているのを実感出来ているうちに、次なるアウトプットに繋げられたらベストなんだけど、ね。
なかなかまた、難しい御時世になって参りました。
そんなオレは真っ直ぐ帰ってステイホームでパソコンをカタカタ、と。
完コピYouTube、本当に期待しててください。
これは胸を張って「#拡散希望」と言えるぜ
ユウイチ∞N.p.sN.g.s